10月から各リクルートサイトが一斉にオープンして、僕ら2012年卒の就職活動がスタートしました。
そこから1ヶ月が経過し、エントリーやらセミナーやら参加して、
世の中にはこんなに就活生がいるのか。
知らない企業とかいっぱいあるな。
あそこの人事めちゃめちゃかわいかったな!
など、ありはしましたが。
僕は「就業する」ということに関してまだまだ何ひとつ見えちゃいません。
ただひとつ、最近出来た大きな人生の戦略というか、プランとして見えてきたものはあります。
「複数の収入源を持つ」
はっきし言って、どんな職に就くのかということよりも、如何に生きるのか、ということのほうに僕の意識や考えは集中しています。
まぁ、当然じゃない?とは思うのですが。
なぜ働くか、と言ったらそれは、自分の生きたい人生を歩むための手段だと思うし。
順序的には、正しい考え方をしているんじゃないのかな、なんて思っています。
では「複数の収入源を持つ」とはどういうことか。そして何故そのように考えるに至ったのか。
収入というのは、つまりは所得。そしてその所得の手段にも色々ある。
大きく分けて2つ、勤労所得と不労所得。
まずは勤労所得から。
本業、副業の違いはあるにしろ、自分の労働力をお金に変える所得。
大体の人はこの勤労所得がメインの所得。
就職における一つの大きな基準として、年収があるのはこの勤労所得の水準は当然高いほうがいいから。
そして不労所得は。
銀行預金による金利収入。株や債券、FXまたは不動産への投資によるリターン。
預金は別として、いわゆるリスク資産と呼ばれるものがここになり、その資産から得られるキャッシュが不労所得。
「複数の収入源を持つ」という僕のプランは、勤労所得にプラスして不労所得を得て、最終的には不労所得のみで生計が立てられるくらいのキャッシュを得る。というものです。
本業+副業+投資(複数)
こうして、自分の経済力を一つの企業で働くことに依存しないようにしたいわけです。
自分の経済を企業に丸投げしてしまうと何が悪いかというと、それはとてつもなくリスキーだってことです。
例えば、破綻したJALに勤めていたら。
JALが潰れて「ふざけるな!生活はどうなるんだ!」と騒いでた人はJALのみに自分の経済を預けていたんだろうし、一方で、潰れても騒がなかった人は、それ以外にも収入源があったってことなんでしょう。
JALのキャッシュフローのマズさは批判されるべきではあると思う。でも
その企業に入ろうと決めたのはあなたでしょ?
一生潰れない企業なんてないってこともわからずに入ったんですか?
と言われても仕方ないんじゃない?とも思う。
どんなに年収が高い企業に入ったとしても、潰れたら一気に0。これはけっこう怖い話。
その上、企業が潰れる可能性は以前より格段に高まっているし、国の保障だってあてにできない。
経済力って社会に生きる人生において、ものすっごく大切な土台となる力だと思います。
それを一つの組織に依存するっていうのは、やっぱり怖くてできません。
僕は安定志向なので。
僕にとっては”安定=経済的基盤が強固”という定義です。
そしてそれの実現は、年収が高く、福利厚生がしっかりしている大企業に入ることで実現できるものではない。
企業に頼ることなく自活できるレベルの経済的基盤を築きあげること。
言うは易く行なうは難し、とはわかるけど、その実現のための勉強やら行動やらに自分の時間やエネルギーを投資する覚悟はできています。
このことは本当に、人生の前提だと思っているから。
なぜこんな考えを持つに至ったか。
以前に縁あって、起業家兼投資家の方とお話させていただく機会がありまして。
すごく若い人で、初対面はチャラ!うわ、チャラ!ってな印象でしたが。
その人は、
自分のビジネス+ビジネスからの投資+個人としての投資
という複数の収入源を持って、強固な経済的基盤を持っている人でした。
「普通に就活してサラリーマンになったら、生涯年収は約3億円。その中から必要経費を引いて、残った中からやりくりする。ってそういう引き算の人生は絶対に嫌だった。何で働くのかって言ったらプライベートのためでしょ?仕事にプライベートをコントロールされたくないじゃん」
なんだこいつ。学生の俺より学生っぽい。
だって社会ってそういうもんじゃないの?
働くって、そういうことなんじゃないの?
そんな風に考える一方で、この人は人生を生きてるなって、そんな漠然としているけど胸を刺す感覚があったわけです。ディープインパクト。
僕は自分がコントロールできない領域に関しては、手を触れないし何も考えないタイプです。
「家計とは、事細かにやりくりしていくことだ」という前提を、自分に変えることができる類のものではない、と無意識的に考えていたのかもしれません。
ただし、人生において「経済」という変数を変えることで未来は良い方向にコントロールできるのかもしれない。
その人との出会い、その後の少しばかりの勉強でそう思うに至っています。
そしてそのコントロールの方法は、より高収入の企業に行くのではなく、収入の個数を増やすこと。
これが今のところのプラン。
「働く」という要素がそうした自分の人生の中でどんなポジションを占めるのか、まだわかりません。
とにかく、「人生を生きる」という大前提は常に意識していたいな、とそんな風に思っています。