今日は草刈り(民代ではない)をした。
鎌を持って草を刈っていると、虫たちがうじゃうじゃ出てくるので、彼らからすれば住処を荒らす傍若無人な侵略者だったに違いない。
そうなるとなけなしのS心がくすぐられて、「男は皆殺しにしてやる。女はかわいがってやるから覚悟しときな」などと言いながら草刈り(正雄でもない)をしていたのだけど、そうなるとダンゴムシのメスとラブシーンを演じなければいけないなぁ、それはいやだなぁと一人で盛り上がっていた。
ミミズとかダンゴムシとかベンジョムシ(まるまらないダンゴムシ。故に存在意義が謎)がそれはそれはいっぱい出てきて、ちょっと気持ち悪かった。
まぁでも気持ち悪いと思いながらもそんなに気になるレベルではなくて、僕は虫って人並みに嫌いだけど逃げ出してしまうほどではないのだ。
でもカナブンとかは無理。あいつがひっくり返ってしまってホームポジションに戻ろうと必死にもがく様は正視に耐えない。
蜘蛛とかも無理。足多すぎる。そんなに足いる?俺2本で満足ですけど?
ただ、カナブンとか蜘蛛とかであれば、かわいい女の子が涙目で「おねがい、やっつけて」とか言ってこようものなら勇敢に立ち向かうことができる程度の苦手度合いなのである。
こう書いていて思うのは、男って「男のくせに虫が怖いとかウケる。きもいしくさい」みたいなところあるし、逆に女の子は「虫は嫌いであってよ」っていうところあるよね。期待みたいな。
いわゆるジェンダーってやつですかね。
最近こういうのが緩くなって、男が「スウィーツ(スイーツではない)ちょー好きー!甘いものは自分へのご褒美ー」などと宣うことにあんまり違和感がなくなってきた。
いやまぁ「違和感あるわ!きもいんじゃぼけ!」みたいな人もいるだろうけど、世間に許容されているというか、多分江戸時代とかに侍が「拙者はスウィーツ(スイーツではない)がいとあはれで候!」みたいに言ってたら、それでも侍の子ですか!とか言いながら母上に斬り殺されていたのではないかなと思う。
「私は侍である」っていう風に、期待されてる行動を取らなければならない「型」が生き方にあったってことですな。
今は逆に「個性が大事!」って言って「型」を敬遠する空気な気がする。
「型」の対義語が「個性」であるとでも言うように。
でも今って、個性個性とか言いながら、結局相手にどう見えるかみたいなインスタント個性だらけになっているような気がする。
今のところ自分の中でも曖昧なんですが、尊重すべき物として僕らが教えられてきた「個性」なんて概念は、たかだか性格が皆違うんですよーって話であって、個性ってもっと違うものなんじゃないかなって思います。
性格なんて、どんなに特殊に見えようが、それって多分他の人が代替可能じゃない。きっと。
じゃあ「個性」ってなんだよって言われると、「侍らしさ」とか、そういう型にはまってなお残るものが個性なんじゃないかなと思う。
今だったら「社会人らしく」とかよく言われることだけど、それにはまった上でなお残るものが。
まぁ自分でもまだよくわからん。
でもとりあえず、急場の自己分析とか他己分析とか、考えて見えるような代物ではないんじゃないのかなって感覚は持ってます。
「個性をいかして」って困るわー。
今日はこんなもん。ばいばーい。
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